あじき路地は、大正時代に建てられた築約100年ほどの町家長屋。長年空家だった長屋を大家さんが「ものづくりなどを頑張っている若者に使ってほしい」と、2004年春に入居者を募集。約100件の応募の中から6件の入居者が決まり、みなが家族のように暮らす、職人の住まう町家長屋に。 Mehr erfahren.
猿楽は,古代宮廷の余興や寺社の祭礼に興行されていたものに,鎌倉期歌舞的要素が付加されたものであり,能楽の源流とされている。大和結崎座の観阿弥(1333~84)と子世阿弥(1363~1443)によって,応安7(1374)年,この地今熊野神社の社頭で,室町幕府三代将軍足利義満(1358~1408)の御前能として演ぜられたことにより京中で Mehr erfahren.
この地は,清涼山光明真言院正林寺という浄土宗の寺。もと関白九条兼実(1149~1209)の別業の地で,兼実は浄土宗開祖円光大師(法然,1133~1212)を請じ,度々法談を行った。のち法然の寺坊となり,承元元(1207)年の法然流罪で中世には廃絶したが,享保18(1733)年に義山・恵空が北野の正林寺を移して中興した。宝暦年間(1751 Mehr erfahren.
歌の中山は,清閑寺の寺伝に「見るにだにまよふ心のはかなくてまことの道をいかでしるべき」という歌が詠むまれた場所をいう。清閑寺は,もと天台宗,現在は真言宗智山派で清水音羽山中腹に位置する。謡曲「融」に「語りも尽くさじ言の葉の,歌の中山清閑寺,今熊野とはあれぞかし」と歌の中山と清閑寺は対でよばれることが多 Mehr erfahren.
[東](手印)すぐいまぐまくわんおん[北] 三宝大荒神道右 洛陽楊貴妃観世音[西]ふじいくに[南]為二世安楽 ゑび安 Mehr erfahren.